そらいろくらげが浮き輪で海に浮いているイラスト

アルフォンス・ミュシャの思想と足跡を知るミュシャ展

新国立美術館では、2017年3月8日~6月5日までミュシャ展が開催されています。

アルフォンス・ミュシャは、チェコ生まれの芸術家で、19世紀末を代表するアール・ヌーヴォー様式を取り入れた画家の1人です。ペンで縁取られたような線画が特長で、花や曲線に囲まれた女性が描かれた華やかな色彩のポスターや装飾に使われた作品が多く残されています。
「ミュシャ」というのはフランス語の発音で、チェコ語では「ムハ」と発音します。

代表的な作品は先に挙げたグラフィック作品ですが、一方で故郷であるチェコや自身のルーツであるスラブ民族についての作品も多く残しています。中でも、傑作と謳われているのが「スラブ叙事詩」です。

今回は、そのスラブ抒情詩20点がチェコ国外では初めて展示されるということもあり、国内外から注目を浴びています。
スラブ叙事詩以外にも、27歳でパリに渡り絵を学んでいたころから34歳で映画ポスターを手がけて一躍有名になった時代、そして祖国チェコに戻り晩年手がけた民族的・愛国的作品に至るまで約200点の作品が展示されます。

それでは、ミュシャの展示されている作品についてご紹介します。

今回は、音声ガイドを借りての鑑賞です。
ナビゲーターは檀れい、ナレーターは三宅健太さんです。

スラブ叙事詩

1911年、アメリカ人大富豪のチャールズ・クレインを受けることになったミュシャは50歳のときに祖国チェコに戻ると、西ボヘミアのズビロフ城にアトリエを借り、16年掛けてスラブ叙事詩を描き上げます。
しかし、その間に第二次世界大戦によりオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、チェコスロバキア共和国が誕生。スラブ叙事詩が完成したときにはすでに独立から10年が経っていました。
当初、完成した作品はプラハ市に寄贈され美術館で常設展示される予定でした。しかし、ミュシャが作品に込めた愛国心はすでに若い世代にとって古臭いものに感じられ、作品としても時代遅れであったため、1928年に19点がプラハのヴェレトゥルジュニー宮殿で公開されたあとは、公開されることはありませんでした。

ミュシャの没後、『スラブ叙事詩』は第二次大戦中に転々としたのち、1963年からモラスキー・クルムロフ城に仮に管理されます。そして、2012年5月から暫定的ではありますが、ようやくミュシャの念願だったプラハにあるヴィレトゥルジェニー宮殿で展示されることとなりました。

作品の数は20枚に及び、およそ縦600cm×縦810cmの巨大なキャンバスに油彩で描かれています。展示会場はそこそこ混みいっていましたが、その大きさのお陰でいろいろな角度から隅々を眺めることができます。
また、作品番号が付いていますが、順番通りではなく好きな順番で見ることができます。

slav.1 原故郷のスラヴ民 ートゥーラニア族と鞭とゴート族の剣の間にー

全体的に青いトーンが印象的な作品です。空には無数の星が輝き、右側には古代西スラヴの全能の神とされているスヴァントヴィトが両手を広げて立ちはだかっています。その両脇には、武器を持つ男と、白い衣装を身にまとった少女がおり、この2人は神とされています。
手前には、茂みに隠れて覚えるように身を潜める一組の男女。まるで襲撃に怯えているようです。

slav.2 ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭 ー神々が戦いにあるとき、救済は諸芸術の中にある

バルト海沿岸ルヤーナ島で行われている、大地の収穫の神スヴァントヴィートを祀る大きな祝祭の様子を描いた作品です。

下部にはたくさんの人達が集まり、収穫に感謝するための宴が開かれています。
一方で、上部に浮かぶように描かれているのは、馬の背で死にかけている者や凶暴な狼をけしかける者など、不穏な動きを感じさせるよう者たちが描かれています。

slav.3 スラヴ式典礼導入 ー汝の母国語で主をたたえよー

ローマ教皇の使いである、東ローマ帝国勅使(神学者)キュリロスがスラヴ語の典礼を承認する書を読み上げている場面を描いた作品です。

日の当たる明るいヴェレフラード城の中庭での光景ですが、手前には青年が手を挙げて立っており、その姿はまるで日陰にいるように青く、左手は強く拳を握りしめて団結を訴え、右手にはスラヴ民族の統一を象徴するひとつの輪が握られています。
また、浮かぶようにして配置されているのが、抱擁する信者の姿やスラヴの使徒キュリロスとその兄メトディオス、抽象的事象を寓意的に表現するために用いられた4人の聖人というように物語の場面を切り取るかのように色味を変化させて一枚の絵に描かれています。

slav.4 ブルガリア皇帝シメオン1世 ースラヴ文学の明けの明星

中央には、ブルガリア皇帝シメオン1世が鎮座し、その手前では多くの学者等を集めてビザンティン文化をスラヴ語に翻訳させている様子が描かれています。
作業は机上で行われるわけではなく、学者たちは鎮座している王の前で椅子や床に座り、大量の資料や書物を整理したり読んだりしています。

slav.5 ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世 ースラヴ王族の統一ー

有能な支配者であり、当時ヨーロッパで最も裕福であったボヘミアの王オタカル2世が催した、姪とハンガリー王子ベーラの婚礼の様子が描かれています。
中でも、ひときわ明るく描かれているのが、中央付近に立つ3人の人物。中央で背を向けるようにして描かれているのが、ハンガリーの息子。その反対側には、オタカル2世。そしてその右側には国王の妃が立ち、オタカル2世が互いを紹介するように手を取り合っています。

slav.6 東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン ースラヴ法典ー

スラヴ民族の領土を南方へ拡げた軍事指導者ドゥシャンは、自らを東ローマ皇帝と宣言し、スコピエの聖マルコ聖堂で即位します。この作品では、東ローマ皇帝としての戴冠式後に、民衆の祝福を受けて出かけていく際の行列の様子が描かれています。

一番手前には、手に花や枝を持ち、花の冠を被った少女たちが先頭を切るように歩き、そのすぐ後ろには有力者たちが王の剣や甲冑を持ち、その後ろではオリーブの枝を持った少女たちが付いてきています。
主要人物であるステファン・ドゥシャンは中央に小さな姿で描かれており、あまり目立ちません。しかし、一行が歩く道はこれからの未来を明るく照らすかのように一段と明るい色で描かれています。

slav.7 クロムニェジージュのヤン・ミリーチ ー「言葉の魔力」ー娼館を修道院に改装する

モラヴィア、クロムニェジージュ出身のヤン ミリチは、プラハで腐敗した教会への反発から教会改革へと尽力します。その中で、私財を投げうってプラハの多くの娼婦のために「新エルサレム」と呼ぶ避難所を建設し彼女たちに悔い改めをすすめ、新しい生活の機会と場を作りました。

この作品では、売春宿を取り壊し修道院へと作り変える工事をしている風景と、その下で売春婦たちに改悛を説くミリチ、純潔を表す白い衣裳を身にまとい改悛した女性たち、改悛をためらい赤い衣装を身にまとい布で口を覆っている女性などが描かれています。

slav.8 グルンヴァルトの戦いの後 ー北スラヴの連帯ー

1410年、北方スラヴ諸国に侵攻したドイツ騎士団をポーランドとリトアニア連合軍が破ります。この作品では、グルンヴァルトの戦いの翌朝に戦場にやってきたポーランド王ヴワディスワフ2世とその一団を描いています。
手前には、無数に散らばる兵士と馬の死体。スラヴの戦士が加わったことを表す白い布が散乱しています。

その奥には、それを見つめるポーランド王とチェコの傭兵たちが立っています。戦いに勝利したとはいえ、歓喜する様子は見られません。また、右の方では犠牲となった兵士たちを弔う姿が描かれています。
ミュシャの、戦いの悲惨さと平和への願いが最もよく表している一枚です。

slav.9 ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師 ー「言葉の魔力」ー真理は打ち勝つ

宗教改革の指導者であったヤン・フスは、当時のカトリック教会の腐敗を糾弾し、改革を呼びかけていました。この作品では、礼拝堂で説教をする様子が描かれています。

礼拝堂の天井は非常に高く作られており、アーチ状になっています。左の方には身を乗り出して信者に向けて演説を説くフスの姿があります。その演説を熱心に聞いている聴衆の中には、弟子のみならず、国王ヴァーツラフ4世の妻、王妃ゾフィーの姿もありました。その脇には、カトリックのスパイを探し出す女性の姿が描かれています。

しかし、カトリック教会はフスを異端として1415年に火あぶりの刑に処されます。

slav.10 クジーシュキでの集会 ー「言葉の力」ーウトラキスト派ー

ヤン・フスが火刑に処せられた後、チェコ改革派の指導者となったピルゼンの改革派司祭ヴァーツラフ・コランダがクジーシュキで説教をする場面が描かれています。

遠くを見渡す高台の上には仮設の説教壇が建てられ、その上にはヴァーツラフ・コランダ司祭が説教をしています。
絵の左側には、枯れ木に白い旗が高く掲げられています。白い旗は避けることのできない戦争と死を表しています。一方、右側には高い松の木とそれにくくりつけられた赤い旗が掲げられており、チェコの生命力と希望を表しています。
空には暗雲が立ち込め、稲妻が走るのが見えますが、コランダ司祭の見つめる方向は明るくなっているのが印象的です。

slav.11 ヴィートコフ山の戦いの後 ー神は力ではなく、真理を体現するー

1420年、フス派の宗教改革を殲滅するためプラハに侵攻してきた皇帝率いる異端撲滅十字軍の大軍を、ヤン・ジシュカの率いる農民中心で組織されたフス教徒防衛軍が、ヴィトコフの丘で撃破し十字軍を撤退させました。

戦いに勝利したとはいえ歓喜する姿はなく、手前に座り込む農民の女性の姿はどこか不安げです。その奥には聖職者が犠牲者に対して祈りを捧げています。
右側には、ひときわ輝くように描かれているヤン・ジシュカの姿があります。その周りには剣や鎧などの兵器が地面に並べられており、空から降り注ぐヤン・ジシュカとともに金色の光が照らしています。

slav.12 ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー ー悪に悪で報いるなー

ボヘミア地方南部ヴォドニャヌイは、フス戦争時代に熾烈な戦いの場となります。ヤン・ジシュカの率いるフス教徒防衛軍が町を離れたすきを突いて、半フス派の軍隊が町を襲撃して多くのフス派住人を殺害します。その報復としてジュシカは町を焼き払いました。この作品では、焼き払われた町から避難してきた人々の様子を描いています。

絵の奥には、焼き払われた街から立ち上る煙と、それを眺める住民たちの姿があります。
手前には犠牲になった人々を前に悲しむ住民たちの姿が描かれています。中央には、亡くなった兄弟を抱えて嘆き悲しむ若者の姿が描かれています。その脇には聖書を持った司祭にして哲学者であるヘルチツキーが立っており、抑えきれない怒りに任せて拳を振り上げますが、ヘルチツキーはその拳を受け止めて復讐しないように諭します。

slav.13 フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー ー権威を求める争いー民主政の国王イジーと神聖のローマ

ボヘミア貴族のイジー王は、カトリック教会とフス派と和解しプラハ条約を締結します。しかし、ローマ法皇ピウス2世はイジーに敵意を示しており、プラハ条約の撤廃を迫ります。
この作品では、プラハ王宮内でローマ法皇ピウス2世の使者が、フス派信仰を認めるプラハ条約の破棄をイジー王に求めている場面が描かれています。

左側には赤い法服をまとったローマ法皇ピウス2世の使者がプラハ条約の破棄を迫り、右上には使者からの伝えを聞いて激怒しているイジー王の様子が描かれています。
イジー王の下には、激怒した際に蹴飛ばされた椅子が横倒しになっており、その周りには、緊張した面持ちで2人を見守る人々がいます。
一番手前には、「ROMA」と表紙に書かれている本を持っている少年がおり、今まさにぱたんと本を閉じて強い意志でこちらを見つめる様子が描かれています。

その緊迫した雰囲気の中で、ひときわ目立っていたのが使者でもイジー王でもなく、プラハ王宮内の装飾が施された大きな窓から差し込む光です。
思わず目を細めてしまうほど輝いて見える明るさで、外光が描かれています。この外光は一体何を表しているのでしょうか。

slav.14 ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛 ーキリスト教世界の盾ー

1566年、スレイマン大帝率いるオスマン・トルコがドナウ川沿いにスラブ各国を侵略。ヨーロッパ侵略を狙い、ウィーンを目指すためハンガリーへ侵攻してきます。
ハンガリー南部、クロアチアとルーマニアの国境の近くに位置する町シゲットは勇将ズリンスキー総督が守っていました。

この作品では、ズリンスキーの抵抗軍がわずか2,500の勢力で約10万に兵力に対抗している様子を描いています。
まず目を引くのが、作品全体の赤黒いトーンと、画面を2つに分断するように立ち上がる真っ黒な煙。
煙を挟んで画面左奥には、今にも攻め入ろうとするトルコの大軍と襲撃によって激しい炎に包まれる城が描かれています。その手前には、右手に剣を持ち立ちはだかるズリンスキーがいます。
画面右側には火薬塔が組まれ、これを迎え撃とうとする抵抗軍の姿があります。塔の足元には支える女性たち、そして塔の中央に闘いを支持するリーダー、そして櫓の一番上では松明を手に持ち、今にも塔に火を放とうとするズリンスキー総督の妻、エヴァの様子が描かれています。戦いの激しさを物語っている作品です。

slav.16 ヤン・アーモス・コメンスキーのナールデンでの最後の日々 ー希望の明滅ー

教育学者であるコメンスキーは、学校教育の仕組みと教科書を提案した人物です。
1619年、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナンド二世がボヘミア王になると、非カトリック教徒追放令により亡命を余儀なくされます。

この作品では、亡命先のアムステルダム近郊ナーデルの海岸で自身の死期を悟り、椅子に座って祖国に思いを馳せている様子が描かれています。
右側に椅子に座ってうなだれているコメンスキーと、その様子を嘆き悲しみ、ただ見守るしか術のない兄弟団メンバーがその周りを離れたところから囲むように描かれています。

絵の中心には、砂浜にランタンが怒れており、煌々と砂浜とその周りを照らしています。この明かりは、果たして消え行くコメンスキーの命を表しているのか、それとも微かに灯る希望なのか。どちらなのでしょうか。
また、全体に青く灰色がかった薄暗いトーンで物悲しさが溢れていますが、その一方で海は穏やかで薄明かりに照らされており、絶望感は感じません。

slav.15 イヴァンチツェの兄弟団学校 ークラリチェ聖書の印刷ー

ここからは、カメラ撮影の許可エリアですので、写真付きで説明します。

ボヘミアのイヴァンチツェは、ミュシャの生まれた街です。1457年、ヤン・フスとペトル・ヘルチッキーの教えに従いボヘミア兄弟団が設立されます。兄弟団団の学者たちは、教育の重要性を説き、新約聖書のチェコ語への翻訳を行います。

この作品では、モラヴィア兄弟団学校の中庭の様子を描いています。後方には教会の塔と城壁が描かれていますが、城壁は取り壊されていて現在は存在せず、塔は尖塔部分が現在とは形状が変わっているため、16世紀当時の姿に復元して描いています。

右側の木の骨組みのようになっているところは、印刷所です。ここで、聖書をチェコ語に翻訳したものを印刷しています。
印刷所の近くでは、生徒たちが印刷物を確認していて、一番手前には印刷所に紙を運ぶ青年の姿があります。

左側手前には、目の見えない老人に対して、聖書を読み聞かせる青年がこちらを見ています。この青年はミュシャ自身がモデルになったと言われています。

slav.17 聖アトス山 ー正教会のヴァティカンー

アトス山はギリシアとトルコの国境近く、ハルキディキ半島にある2,033mの山です。ギリシャ正教会の聖地であり、正教会のバチカンと言われています。
この作品では、アトスの修道院内の様子が描かれています。

聖堂内では、訪れた巡礼者たちが礼拝を行っており、一番左側には礼拝を終えた老人と支える若者、その後ろには礼拝を終えたロシアの巡礼者たちがいます。その右側では、巡礼者たちが熱心に礼拝を行っています。

聖堂の壁画には巡礼者を見守るようにマリア像が描かれており、巡礼者たちの上には彼らを囲むように智天使たちが浮かんでいます。
聖堂の窓からは強烈な一条の光が差し込んで智天使たちの身体を照らし出していて、この絵の幻想的な雰囲気をより引き立てています。

slav.18 スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い ースラヴ民族復興ー

スラヴ抒情詩の中で、この作品だけは、19世紀から20世紀にかけてのチェコを描いています。

1867年、チェコを支配していたオーストリアは、ハンガリーとともに二重帝国を成立させます。帝国による諸民族の抑圧に対して、チェコでは青年チェコ党が結成されます。

この作品では、1894年1月に多数の青年チェコ党員が逮捕されたことに講義するため、古代の伝説にならってチェコの国樹である菩提樹の前でスラヴ民族の守護神スラヴィアへ宣誓をします。
画面左側の手前でハープを弾く少女は、ミュシャの娘ヤロスラヴァです。古代吟遊詩人ルミールをイメージしています。反対側には、息子のイジーが描かれています。
宣誓をしている若者たちにはまばゆいほどの光が降り注いでおり、幻想的な雰囲気を醸し出しています。

なお、この作品には顔の描かれていない部分があり、スラヴ抒情詩の中でこの作品だけが未完となっています。

slav.20 ロシアの農奴制廃止 ー自由な労働は国家の礎ー

1856年のクリミア戦争の敗北は、ロシアに近代化の必要性を痛感させます。1861年、皇帝アレクサンドル2世はロシアの産業発展を目指して農奴制の廃止を決めました。

この作品では、農奴制廃止の勅令が発表された直後の様子が描かれています。
背景にはモスクワの聖ワシリイ大聖堂が描かれており、その様子は霧で霞んでいてはっきりとは見ることができません。

右側にはクレムリン宮殿がわずかに見えており、雪の積もるクレムリン前の赤の広場では農奴制廃止の勅令を読み上げる役人とそれを聞く農民の姿が描かれていますが、誰ひとりとして喜ぶものはおらず、先の見えない不安を隠せない様子です。

slav.20 スラヴ民族の賛歌 ースラヴ民族は人類のためにー

最後の作品は、スラヴ抒情詩すべてをまとめ上げる作品で、スラヴの勝利を表しています。

画面右下は青でスラヴ史、左上は赤でフス戦争、その下の黒い部分はスラヴ民族の敵を表しています。
中央の青年は、チェコスロバキア共和国の独立と自由、明るい未来を、真ん中の黄色い人物たちは1918年のオーストリア・ハンガリー帝国崩壊によるスラヴ人の解放に対する喜びと明るい未来を、一番手前は自由の枝葉を持ち、自由を勝ち取ったことによる喜びにあふれる様子を描いています。

以上、スラヴ抒情詩20点のご紹介でした。
まず感じた印象としては、思ったよりも絵の彩度は低いのですが、時として光が効果的に使われているなと感じました。

ミュシャとアール・ヌーヴォー

ここからは、ミュシャといえばおなじみの作品ばかりを鑑賞することができます。

まず最初に展示されている作品は、ミュシャ自身を描いた自画像です。赤っぽい紙に鉛筆で描かれています。
このとき、ミュシャは28歳。まだパリでは無名の画家でした。

彼の名が一躍知られるようになったのは、舞台女優サラ・ベルナールが主演する舞台のために作成した「ジスモンダ」のポスターです。
急遽依頼されたものではありましたが、上演作品の内容にあった重厚で伝統的な雰囲気を表しており、一夜にしてパリ中にこのポスターが知れ渡ったとされています。

サラ・ベルナールからの絶大な信頼を得たミュシャはその後数々の宣伝ポスターを手がけます。
シンプルでも伝わりやすい構成と、サラ・ベルナールの魅力を余すところなく詰め込んでいるこのポスターは、きっとパリの人たちは思わず足を止めてポスターを眺めたのではないかと思います。

続いて、ミュシャ作品としてはおなじみ、『4つの花 「カーネーション」「ユリ」「バラ」「アイリス」』と、『四芸術「詩」「ダンス」「絵画」「音楽」』です。

どの作品も、外側の輪郭は太くたくましい線で縁取られています。トーンは全体的に彩度が低めです。
構成はとてもシンプルで、まるでタロットカードのような印象を受けます。
モチーフはすべて単純化・抽象化され、装飾としての役割を果たしています。まるで、Adobe Illustratorを使っているみたいです。
その中で、ひときわ目立つのはやはり女性をより妖しく美しく見せる曲線美。女性の持つ魅力を知り尽くしているかのようです。

さらに、ミュシャは装飾品のデザインも手がけます。展示されている作品は蛇のブレスレットと指輪です。金、エナメル、オパール、ダイヤモンドでできていて、女性の手をより美しく見せてくれそうです。

以上の作品は、大阪府堺市のアルフォンス・ミュシャ館で鑑賞することが可能です。ちょうど2月6日(月)から6月30日(金)まで空調設備更新・収蔵庫改修工事が入っているため、このミュシャ展に貸出しているようです。

世紀末の祝祭

一躍著名な画家となったミュシャは、ポスターやグラフィック作品だけでなく建築も手がけます。

1900年にパリで開かれた万国博覧会では、「人類館」というモニュメントの構想を素描により提案しますが、実現はされませんでした。
代わりに請け負ったのが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのパヴィリオンの装飾です。ここでは、「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館」の壁画の下絵が展示されています。紙に墨で描かれています。

1910年、プラハ市内に市民会館が建築され、「市長の間」の建築装飾を依頼されたミュシャは祖国チェコへと帰国します。
円形の天井には中心部に鷲のシルエットが描かれ、その周囲にはりんごのような果実の実った天国の情景が描かれており、外周にはその天国を望んでいる人々がいます。全体的に青と緑の落ち着いたトーンになっています。

「市長の間」の壁面は、円形の天井から伸びている8つの穹偶(きゅうぐう)によって支えられています。
穹隅上部には、市民の徳を擬人的に表現したチェコの歴史上の人物像が描かれています。
パリのグラフィックデザイナー時代の作品とは一味も二味も変わり、キャンバスに油絵で描かれた全体的に青や緑の深い色味の幻想的な作品です。

独立のための闘い

ミュシャは米国に渡ったあと祖国チェコに戻ります。帰国後の作品は、女性の描写にも変化が見られます。丸顔でふっくらした体型のスラヴ人である妻の容貌がベースとなりました。また、祖国チェロやスラヴ民族を意識して作られた作品が多く登場します。

バレエ「ヒヤシンス姫」のポスターは、中央にヒヤシンス姫を演じるアンドゥラ・セドラチコヴァーがモデルになって描かれています。
構成はパリ時代と変わりませんが、明るいトーンでより写実的に描かれ、中央に座る少女がまっすぐこちらを見つめているのが印象的です。

第1次世界大戦以前までオーストリア=ハンガリー二重帝国の支配下に置かれていたチェコとスロヴァキアは、1918年10月18日にチェコスロヴァキアとして独立を宣言します。
ミュシャの晩年は、新生国家チェコスロヴァキアの依頼を受けて制作されたものが多く見られます。紙幣や切手のほかにも、白獅子の国章、警官の制服、聖ヴィート大聖堂のステンドグラス(1930年)などもデザインしました。
新生国家チェコスロヴァキアの通常郵便切手として最初に発行された10ハレル切手は、ミュシャが手掛けたもので、1928年12月18日に発行されました。

1928年にプラハのヴェレトゥルジュニー宮殿で《スラヴ叙事詩》全作品が展示された際には、チェコスロヴァキア独立10周年記念ポスターも制作しています。

習作と出版物

グラフィックデザイナーとして一躍著名な画家となる前、パリで勉強していた頃は生活のために雑誌の表紙や挿絵を描いていました。
ここでは、グラフィックデザイナー以前の挿絵作品を見ることができます。

また、晩年はスラヴ叙事詩の制作をするとともにスラヴの人々をモデルにした習作やデッサンも手がけています。

締めくくり

スラブ叙事詩は、ミュシャのチェコに対する思いや思想、そして画家としての足跡を感じられる作品です。
今やネットや画集でも作品を見ることができますが、やはり直接見たときの感動は何ものにも変えられません。それまで持っていたミュシャの作品に対するイメージとはまったく異なり、圧倒されるような大きな作品の中にまるでミュシャ自身が実際に見てきたかのように錯覚してしまいそうになるほど緻密で美しい作品たちに思わず息を飲んでしまいました。

また、スラヴ叙事詩を知らなくても、充分楽しめます。くらげも、ミュシャは知っているけどスラヴ叙事詩は知らなくて、「何やらすんごいでっかい作品でチェコ国外世界初公開らしいから行ってみよう」って感覚でした。

ちなみに、チケットは事前購入を強く強く強くおすすめします。

概要

  • 会期:2017年3月8日(水)ー 6月5日(月)
  • 会場:国立新美術館 企画展示室2E
  • 開場時間:午前10時―午後6時
    ※毎週金曜日、4月29日(土)-5月7日(日)は午後8時まで
    ※入場は閉館の30分前まで
  • 休館日:毎週火曜日(ただし、5月2日(火)は開館)
  • 公式サイトミュシャ展

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