そらいろくらげが浮き輪で海に浮いているイラスト

ピアノの誕生とその歴史を知る〜第3回【20世紀】

夏休みの自由研究課題としてピアノの歴史を調べるお話の第3回です。
気づけば3回も続いたこのシリーズも、今回でようやく最終回です。

今回は、20世紀のピアノの歴史を追っていきます。

前々回のお話: ピアノの誕生とその歴史を知る〜第1回【紀元前から18世紀まで】
前回のお話: ピアノの誕生とその歴史を知る〜第2回【19世紀】

20世紀に入ると、ピアノの楽器としての設計は基本的に完成しました。グランド・ピアノとアップライト・ピアノのアクションに改良の余地はほぼなくなり、鋳鉄製フレームと交叉弦の使用も一般化しました。
近代化とともに「職人のピアノ」から「工場のピアノ」へと移り変わり、大工場が作り出す生産台数が増加。1911年のアメリカではピアノ製造会社301社が約370,000台ものピアノを生産しました。
大量生産によってピアノの価格も低廉化し、20世紀初めの頃の相対価格は19世紀中頃と比べると約半分にまで下がりました。

自動演奏ピアノ

Photo credit: ell brown via VisualHunt.com / CC BY-NC


20世紀のピアノで最も重要な革新は、自動演奏ピアノです。

1800年代、オルゴールを発展させた「バレル・ピアノ」という自動ピアノが最初に登場します。これは、木の筒に曲のデータとなるピンを打ち込んだバレルを回し、ピンがハンマーを弾いて演奏するものです。
1900年代になると、ピアノ・ロールと呼ばれるロール紙に演奏データを穿孔し、足踏みペダルやポンプなどで風を送って読み取って演奏するものです。

自動ピアノは優秀な演奏者がいなくても高価なピアノを有効活用できるため、飲食業などでは大歓迎され、ダンス・ナンバーなどが演奏されました。その結果、演奏された楽曲が流行する効果が生まれ、自動ピアノそのものも流行するようになります。客がコインを投入すると演奏するタイプも誕生し、コインを投入するとレコードをかけるジューク・ボックスが誕生するきっかけにもなりました。
1920年代までに生産されたピアノの約半分が自動ピアノだったということからも、当時はいかに人気が高かったかがわかります。

1930年代になると大恐慌や蓄音機、レコードの登場により自動ピアノは長く忘れ去られてしますが、1980年代になるとコンピューターや電子楽器などのテクノロジーが進化した結果、ローコストで自動演奏機能を付加することが可能になり、ピアノを含めたキーボード楽器の多くに自動演奏機能が採用されるようになりました。

戦後のピアノ製作

第一次世界大戦の混乱を生き抜いた会社は、1920年代にピアノ生産のピークを迎え、世界全体のピアノ生産台数は600,000台にまで達します。
しかし、1930年代に発生した世界大恐慌とそれに続く第二次世界大戦、そしてラジオと蓄音機、映画やレコードといったピアノの強敵とも言える音楽メディアの登場はピアノ生産に深刻な打撃を与え、1935年には144,000台にまで落ち込みます。

18世紀後半から19世紀前半にかけてピアノの先進国だったイギリスとフランスの生産台数は、第二次大戦後になるともはやピアノの生産国とは言えない数字にまで落ち込みました。
ドイツは1910年には12万台に達し、アメリカに告ぐ台数を生産していましたが、2度に渡る大戦が壊滅な打撃を与えました。
一方で日本のピアノ産業は、第二次世界大戦の終結から5年経った1950年にはわずか500台でしたが、1960年には46,000台、10年後の1970年には273,000台という世界一のピアノ生産国にまで成長します。

こうした中、ピアノの主な材料はいぜんと変わらないもののヨーロッパやアメリカとは異なる気候のアジアへと輸出されることになったため、接着剤や塗料、合板などは極度の湿気や過酷な長距離輸送に耐えられるものへと改良を余儀なくされます。
また、伝統的に使われてきた材料の中でも白鍵の象牙や黒鍵の黒檀は不足してきており、プラスチックが用いられるようになります。また、ケースの無垢材の代わりに、しばしば複合材が使われるようになりました。

世界的な需要に応えるため、ピアノ産業は高度なオートメーション化が進み、今日では年間200,000台ものピアノを生産するメーカーもあります。オートメーション化により生産高が劇的に増加しただけでなく、楽器の設計がより標準化します。
それでも、独自の音色を誇っているメーカーもあり、さまざまな設計の違いによって独特の音を作り出しています。

<h3>チェンバロとフォルテピアノの復興

Photo credit: highendpianos via Visualhunt.com / CC BY-NC


ピアノの進化と並行し、一方ではチェンバロへの興味を持つ人も現れるようになりました。
19世紀に入る頃には、ピアノはチェンバロを改良したものではなく新しい楽器と認識されていました。そして、今日に至ってもチェンバロはピアノが決して取って代わることのできない楽器として再発見されています。チェンバロのために作曲された員額にはチェンバロを使うことを好み、さらには現代の作曲家はチェンバロの表現の可能性を再発見しようとしています。

18世紀のピアノもまた、モーツァルトやハイドン、ベートーヴェンなど古典の音楽を演奏するために蘇りつつあります。
19世紀後半のアメリカでのピアノの改良は、それ以降の近代ピアノを、18世紀末から19世紀初めの頃の古典的なピアノとはまったく違うものにしてしまいました。
特に、現在は失われてしまったウィーン式アクションを懐かしむ声が多かったため当時の楽器をモデルにした複製楽器(レプリカ)が作られ、今日使われているモダンピアノと区別するためにフォルテピアノと呼ばれるようになりました。

しかし、フォルテピアノに関してはレプリカ製作者が極度に限られているため、一部の専門家以外には入手することが非常に困難でした。
河合楽器では、1985年から古典楽器の製作部門を設けて、チェンバロの製作を開始し、さらにフォルテピアノやクラヴィコードの国内生産を行うようになりました。カワイのフォルテピアノは、ウィーン式アクションの代表的な楽器だったヴァルターの1795年頃のピアノをモデルにしています。また、カワイのチェンバロには二段鍵盤と一段鍵盤があり、いずれも18世紀中頃のフランスの楽器をモデルにしています。

締めくくり

さて、3回に渡ってピアノの歴史を紐解いてきましたが、くらげ自身知らないことだらけでした。何冊もの参考文献を読み漁りながら調べていくうちに、ピアノの持つ魅力についてわかってきた気がします。

ピアノは長い時間を経て作曲家や演奏家のムリな注文に答えながら、世界中の多くの製作者たちの努力によってここまで発展してきました。
この先衰退の一途を辿るにしても、いずれまた新しい楽器へと変貌を遂げながら進化していくのだと思います。

参考文献

大宮眞琴(2009) 『新版ピアノの歴史 楽器の変遷と音楽家の話』 音楽之友社
伊東信宏 編(2007) 『ピアノはいつピアノになったか?』 大阪大学出版会
斎藤信哉(2007) 『ピアノはなぜ黒いのか?』 幻冬舎
西原稔(2013) 『ピアノの誕生・増補版』 青弓社
北川恒二(1982) 『ピアノ常識入門』 音楽之友社
ヘレン・ライス・ホリス(1988) 『ピアノ 誕生とその歴史』 音楽之友社
小倉貴久子(2009) 『カラー図解 ピアノの歴史』
ジョン=ポール・ウィリアムズ(2016) 『ピアノ図鑑 歴史、構造、世界の銘器』 ヤマハミュージックメディア
「音楽を読む本」編集委員会(1994) 『ピアノを読む本 もっと知りたいピアノのはなし』 ヤマハミュージックメディア
株式会社ゲイン(2012) 『ピアノがもっと好きになる!ピアノ雑学100』



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