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ダリの生涯と作品を知る美術展【ダリ展】

新国立美術館では、9/14〜12/12まで、ダリ展が開催されています。
ダリといえば、ツンと上を向いたお髭と見開いた目の肖像、ぐにゃりと歪んだ時計などの不思議な絵が有名です。
それ以外の作品は殆ど知らなかったので、観に行ってみることにしました。

日本では約10年ぶりとなる回顧展ということもあり、平日夕方にも関わらず展覧会場は多くの人で賑わっています。
それでは、さっそく作品を観ていくことにします。

作品をより知るために、音声ガイドを借りる

と、その前に入口入ってすぐのところにある、音声ガイド貸出受付で、音声ガイドを借ります。

音声ガイドは、音声が録音された機械を持ち、ヘッドフォンでその作品の聴くことのできるものです。
有料で貸し出していて、音声マークの表示がある作品のところに来たら、その番号を押すと音声ガイドが流れます。

大きな美術展では、よく音声ガイドを貸し出していますが、今までは全くスルーしていました。
しかし、ダリの作品だと難しいものが多いと思い、今回始めて利用することにしたのです。
音声ガイドのナビゲーターは、俳優の竹中直人さん。これはなかなか楽しめそうです。

CHAPTER1 初期作品(1904-1922)

まず思ったのが、ダリってもっと昔の人だと思っていたのですが、意外と近代の人だったんですね。
くらげのダリに対する知識はそんな程度です。

この時期の作品は、ポスト印象風の作品が多く描かれています。

中でも一番の印象に残ったのは、『ラファエロ風の首をした自画像』という作品。一番最初に展示されている作品です。
やたらとぶっとい首に、青々とテカっているおでこ。遠景には湖と鮮やかな色の町並みが広がっています。ラファエロ風の首というのがよくわからないし、おでこが青いのもよくわからない。
この作品には、音声ガイドがあって説明されていたのですが、内容は忘れました。

ポスト印象風というのは、印象派という手法から抜け出した画家たちの手法を指します。
印象派は、モネ・ルノワールなどの画家が描いていた手法で、ポスト印象派は、印象派以降に使われていた手法で、印象派を脱するという意味で「ポスト印象派」と呼ばれています。代表格は、モネやセザンヌ・ゴッホ・ゴーギャンです。

詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
これで解決!2つの違い:印象派とポスト印象派の違い

観る前に知っておけば、中高レベルの美術史の知識程度でも、「なるほど、たしかにこの絵はゴッホの絵のごとく鮮やかだね」とか思いながら観ることができたのにって、今更ながら思います。

CHAPTER2 モダニズムの探求(1922-1929)

1922年に、マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入学します。
でも、あまり授業には参加していなかったようです。

この頃の作品は、肖像画が多く、キュビズムという手法を試している作品が多く描かれています。
キュビズムというのは、wikiによるとピカソの「アヴィニョンの娘たち」から始まったとされ、「ルネサンス以来の「単一焦点による遠近法」の放棄(すなわち、複数の視点による対象の把握と画面上の再構成)」、「形態上の極端な解体・単純化・抽象化」というのが特徴です。こうして書いていても、よくわかりません。

この記事を読むと、なんとなく理解できると思います。
あなたの知らないアートの世界:悪名高きキュビスムを徹底解説

予備知識入れてから作品を観れば、もっと理解できたのになー(´・ω・`)ショボーン

この年代は、キュビズムだけでなく、初期作品にあったポスト印象主義、ピュリスム、リアリズム、古典主義などいろんな手法を試しています。
といっても、なんとなく作品によって雰囲気は感じられてもちゃんとした違いは理解できないです。

CHAPTER3 シュルレアリスム時代(1929-1938)

このころから、ダリはシュルレアリスト・グループに属し、シュルレアリスムの中心的な画家として活躍していきます。

シュルレアリスムというのは、下記の記事をご覧ください。
絵画指導 菅野公夫のブログ:シュールレアリズムってなあに

作品にも、ダリ特有のモチーフである歪んだ時計、同じ形のものを繰り返して描く「形態学的なこだま」など、「あ、なんかダリっぽい」と思わせる作品が多くなっていきます。

1929年には、美術アカデミーの学生寮で交友していた映画監督のブニュエルと共同で脚本を書いた映画、「アンダルシアの犬」がパリで上映されます。
このダリ展でも上映されていて観たのですが、頭にいっぱいハテナが浮かんだまま見終えました。くらげの頭ではさっぱり理解ができなかったです。内容説明するにもうまくできないです。

CHAPTER4 ミューズとしてのガラ

1929年夏、シュールレアリスム詩人のポール・エリュアールと妻のガラがダラを訪れます。そのときに、ダリはガラに一目惚れしてしまいます。
その後、二人は付き合い始め、エリュアールとガラが離婚したのち、ダリとガラは結婚します。

以降、ダリの作品にはガラが多く登場することになります。

CHAPTER5 アメリカへの亡命(1939-1948)

第二次世界大戦が勃発すると、ガラとダリはアメリカへ亡命し、48年まで過ごします。
アメリカでのダリは、商業的な仕事や出版を中心に行い、その地位を確立していきます。

CHAPTER6 ダリ的世界の拡張

ダリは絵画作品のみだと思っていたら、舞台美術や、衣裳、本の挿絵にも携わっていました。

また、アクセサリーの製作も行っており、「記憶の固執」という作品はダリ特有の歪んだ時計がモチーフとなっています。これほしいな。
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(出典:ダリ展公式サイト

中には、ダリ製作と言わないとわからないような、きれいな「普通」のアクセサリーもありました。

CHAPTER7 原子力時代の芸術(1945-1950)

1945年、広島と長崎に原爆が投下。それを知ったダリは大きな衝撃を受け、《ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌》という作品を製作。やがて数学と原子核への興味を持ち、作品にも影響していくことになります。

この頃の作品から、物質を原子まで分解した状態を表した「サイの角」と呼ばれる円錐状の物体を螺旋状に並べたモチーフが多く登場していきます。
描かれる物体に関しても細かく分解され、球体や立方体、幾何学模様が多く用いられていて、より3Dっぽい印象を受けます。

これほどまでに、日本の原爆投下がダリの作品に影響していたというのは、初めて知りました。
そもそも、戦後までダリが生きていたということすら、ここで初めて知ったんですけどね。

CHAPTER8 ポルト・リガトへの帰還、もしくは晩年の作品(1960-1980)

戦後、ダリとガラはスペインへ帰還。ポルト・リガトという小さな漁村に居を構えます。
この頃からは、古典芸術に回帰し、壁に飾ると見上げるくらい大きな作品を中心に製作します。

くらげは、古典芸術はなんとなく興味が沸かないので、ここらへんはほぼさっと通り過ごしました。

晩年になって、ダリはガラのためにプボル城という城を購入。
80年代になると、ダリは健康を害し作品製作に影響を及ぼすようになります。

82年、長年連れ添った最愛のガラが死去。ガラがいなくなったことにより、ダリは生きる気力を失います。
また、財布の紐を握っていたのはガラだったため、亡くなった途端に金遣いが荒くなり借金まみれになってしまいます。

84年、城が火事になり重症を負ったダリは、車椅子生活を余儀なくされます。
89年、心不全のため85歳で亡くなります。

そんなくらげが誕生して以降まで生きていたなんてぜんぜん知りませんでした。
最後はちょっと寂しい最期で、なんだか切ないです。

締めくくり

こうして、ダリの作品と生涯に触れてみて、知らないことだらけだったので勉強になりました。

また、音声ガイドがあると、その作品の説明を聞いているときはその作品の前にしばらく佇むことになるため、より時間かけて観ることができます。
竹中さんのガイドは、ダリの作品とよく調和していて、よりダリの世界に浸ることができます。

でもやっぱり、「なんちゃら派」とか説明があっても、キャプション自体が小難しくてさっぱりわからないので、最初にちょっとくらいはその画家や作家のこととか作品について触れておいたほうが、より作品を見る上で理解が深まります。

とかなんとか、ここまで偉そうに説明してきましたが、今回のダリ展で一番印象に残ったのは、「けっこう昔の人だと思っていたのに、なんとダリは89年まで生きていた!!」ということです。

ダリ展は新国立美術館で12月12日まで開催されています。
ダリ展公式サイト

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