くらげ母と太平洋戦争

今日は、終戦記念日です。今年で太平洋戦争が終戦してから69年になります。

くらげ母は今年で75歳。幼いころに太平洋戦争を経験しているため、くらげは何度も戦時中の話を聞いて育ちました。
太平洋戦争の記憶が風化されていくこの現代で少しでも身近にあった戦争という記録を残せたらと思い、くらげ母に聞いた話をここに書き残しておこうと思います。

祖父と祖母の出会い

祖父は長男として秋田の鹿角で生まれ育ちました。学校を卒業後は三菱鉱山に就職し、鉱山技師として日本の占領下であった朝鮮半島の鉱山に赴任します。
当時、満州にお店を開いていた大叔母の紹介で祖母と知り合い、結婚。そして、くらげ母は鉱山の社宅で産まれました。

くらげ母は鉱山の近くの社宅地域で生活していたため、周りは日本人ばかり。外の様子はほとんどわかりませんでした。
ただ、その鉱山があったのは、今で言う北朝鮮のあたりだろうとのことです。

祖父に赤紙が来る。そして日本へ引き揚げ

その後、くらげ母がまだ小さい頃に祖父に赤紙が来て出征します。任地は南方と呼ばれた激戦地、東南アジアです。
くらげ母はまだその頃幼かったため、父の記憶は残っていません。

しばらくして、祖母はまだ幼い子どもたちを連れて日本へと帰国することになります。
まだ戦火が激しくなる前でしたが、いつ日本への船が出るかわからない状態だったため、荷物はあとで近所の人に送ってもらうことにしました。
しかし、結局荷物が届くことはありませんでした。

鹿児島と秋田を行ったり来たり

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日本に戻ったくらげ一家は、祖母の実家のある鹿児島の串木野に身を寄せますが、祖父が帰ってくるのを待つために祖父の実家がある尾去沢鉱山の社宅に住むことになりました。

くらげ母は小学生になったため、鹿角の小学校に入学。冬の雪が降った日、母に言われたとおりにわらぐつを履いていきました。わらぐつは浅い雪用に編まれたわらの長靴です。
しかし、学校に辿り着く前に深い雪に埋もれてしまい、すっかりびしょ濡れになってしまいます。冷たい雪で濡れたままわらぐつを履いていた母の足はあかぎれになってしまいました。
当時、雪が降ったとき秋田の子どもたちはゴム長靴を履いていたのですが、温かい鹿児島後で育ち秋田の厳しい冬を知らない祖母は全く知らなかったのです。

その後、祖父戦死の知らせが入りました。しかし、届いたのは戦死を知らせるたった一枚の紙と遺骨ではなく現地の石が一つだけ入った骨壷。
そのため、未だ祖父のお墓には遺骨が入っていません。

祖父の戦死がわかったことで、祖母と母たち兄弟は居候していた祖父の実家から鹿児島へと戻ることになりました。

新幹線でも日本列島を縦断するにはそれなりに時間がかかりますが、当時はまだ蒸気機関車が走っていた時代です。
鹿児島と秋田を行き来するのは、相当な時間を要しました。3日ほど車内で寝泊まりしながら一日中汽車に揺られ、ようやく着いた頃には歩いていてもしばらく身体から振動が抜けなかったそうです。

またしばらくの間祖母の実家に身を寄せたものの、居候の身には変わりがないのでずいぶんと苦労したそうです。

鹿児島は本土最南端に位置しており、また特攻の基地があったため何度も空襲に遭います。
空襲警報が鳴ると川の中へ避難。川の中に身をひそめていると、カニがちくちくお尻をつついてきて痛かったそうです。

そして終戦

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そして、69年前の今日、終戦を迎えました。くらげ母は、玉音放送をほとんど覚えていないそうです。
終戦後、祖母と兄弟たちは祖父の弟と一緒に、横浜のボロ屋を借りて過ごします。
祖父の弟は兄弟の末っ子で、当時は健康状態に支障があり徴兵を免れたため、戦時中から何かと祖母たちの面倒を見てくれていました。

しかし、くらげ母が高校生の頃に祖母が他界します。

就職、そして結婚

高校卒業後は宮崎のホテルに就職し、住み込みの仕事をしていました。その後は、湯河原の保養所で住み込みの仕事をしている時にくらげ父とお見合いをして、結婚しました。くらげ母38歳の頃です。
大倉山の家は、くらげ母が宮崎で就職するころには地主から追い出されたため残っていません。

くらげの実家は狭小で冬は極寒夏は灼熱地獄、未だボットントイレのボロ家だけど、ここがくらげ母の人生の中で一番の安住の地となりました。

くらげは思う

祖父は未だにフィリピンの川底に眠っています。もしも無事に戻ってきていたなら、くらげ母は秋田で家族揃って幸せに暮らしていたことでしょう。
くらげの生まれた1970年代はもう両親が戦後生まれが多いけど、くらげにとっては非常に身近な歴史です。

戦争の話を聞くたびに感じる心の痛みは、決して忘れてはいけない痛みです。

2 Comments

kenzo

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70年代ですが、両親は戦後産まれでした
ジジババも幸い戦争を生き抜いていましたが、子供の頃に可愛がってもらっただけで物心着く頃に他界していました
もうちょっと色々と話を聞きたかったなぁとふと思ったり
この記事を目にし、自分の父母の若い頃の話を聞いてみようと改めて思いました

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そらいろくらげ

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kenzoさん
いらっしゃいませー。
昭和という激動の時代を生きてきたご両親のお話を、ぜひ聞いてあげてください。歴史は身近なところで学べます。
くらげたちには、語り継いでいくという使命があると思います。

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