バレエってどんなもの?バレエを知るためのバレエの歴史(1)

バレエとは、何でしょうか。何をイメージしますか?

手の先からつま先までいろいろ細か動きが決まっていて、白タイツとトゥシューズを履いてチュチュを着て踊るもの。そういう認識はあっても、なかなか理解しづらい芸術作品だと思います。
くらげ自身、仕事でバレエに携わる機会はありますが、知らないことだらけです。

そこで、バレエについて理解するために歴史を紐解いてみました。

バレエの起源

バレエはルネサンス期のイタリアで生まれてフランスで発展し、ロシアで開花した舞台芸術です。
王侯貴族娯楽としてその庇護のもとに繁栄したため、舞台には贅が尽くされ、音楽から振り付け、装置、衣装に至るまで総合芸術として目を楽しませる要素が溢れています。

バレエ(bllet)という語はフランス語で、イタリア語の「バラーレ(ballare)=踊る」からの派生語「バッロ(ballo)=踊り」「バレッティ(balletti)=複数の踊り」から生まれたとされています。

初期のルネサンス期では、人文主義者たちの手によって「詩、音楽、舞踊の調和」を目指した幕間劇、インテルメディオが作られました。
15世紀から16世紀に繁栄したヴェネツィアやフィレンツェでは、王侯貴族の館でしばしば華やかな宴会が催され、余興として踊りがもてはやされていました。
インテルメディオは来賓をもてなすための催しで、劇のテーマはその場にふさわしい古典作品が使われました。

15世紀のインテルメディオには、レオナルド・ダ・ヴィンチ、サンドロ・ボッティチェリなど美術史の巨匠たちが装置や衣装を手掛けていました。

イタリアからフランスへ

イタリアで盛んに催されたインテルメディオは、今度はフランスに影響を与えます。
1533年、フィレンチェのメディチ家からフランス王アンリ2世のもとにカトリーヌ・ド・メディシスが嫁いできます。カトリーヌはイタリアから伴ってきた舞踊教師の手を借りて積極的に余興を催し、フランスにインテルメディオ風の催しを根付かせました。

以降、フランスでは王侯貴族が演じるバレエが宮廷の催しとして定着し、ヴァロワ朝のシャルル9世、アンリ3世からブルボン朝のアンリ4世、ルイ13世へとその伝統が受け継がれて発展を遂げ、やがてイタリアの影響から完全に脱して新しい様式を完成させていきます。

宮廷バレエ

16世紀後半からフランスの宮廷で発達したバレエは「宮廷バレエ」と呼ばれ、宮殿内の広間を利用して装置を組んだり、庭園に特設劇場を建てるなどして上演され、客席は演技空間を三方から囲んで見下ろすようにして設置されていました。

宮廷バレエは王や貴族の社交のための教養としての意味合いが強く、日常のマナーやエチケットを様式化した動きがほとんどでした。

例えば、脚を出すときに甲とつま先を伸ばすのは、当時の貴族が硬い革のハイヒールを履いていた名残であり、長いドレスやマントをエレガントに見せるための足さばきでした。
腰の位置は変えずに、上体をひねるようにして立体的に見せるエポールマンも上半身の装飾品をアピールするためであり、指や手首の形も、指輪やブレスレットと関係するものでした。

ルイ14世とバレエ

ルイ14世の時代には宮廷バレエが大きく発展を遂げます。王は幼少の頃からバレエ好きだったことに加え、幼くして即位しても母と枢機卿が実験を握っていて政治の表舞台に立てなかったこともあり、なおさら踊りに打ち込みました。
自ら『夜のバレエ』という作品に出演し、太陽の役を演じたことで「太陽王」と呼ばれるようになります。

また、王は正しいバレエ教育が必要と考え、1661年に王立舞踊アカデミーを設立します。ここで足の5つのポジションをはじめとする技法が体系化され、ステップの名称や用語なども制定されて、現在のバレエの共通用語の出発点となりました。
また、この王立舞踊アカデミーは世界最高峰のバレエ団の一つとして知られるパリ・オペラ座バレエの起源でもあります。

舞台は宮廷から劇場へ

やがてルイ14世が舞台から引退し、貴族たちもそれに倣うと、舞台は宮廷から、別の場所に建てられた専門の劇場へと移ります。宮廷から劇場へと上演の場が移ったことで、ステージと客席は画然と隔てられ、一方向から水平に見られる形式へと視線も変化します。王侯貴族や列席の貴賓が一緒になって踊る参加型の上演形態は廃れ、専門家による舞台芸術が求められる時代を迎えます。

バレエは専門の訓練を受けたプロのダンサーが踊るものになり、テクニックも急上昇します。また、宮廷バレエの踊り手は男性でしたが、徐々に女性ダンサーも登場し、人気を集めるようになります。

1671年にパリ・オペラ座が開場し、毎年1作の割合で新作が発表され、専門家による新しい芸術の分野として大成功を収めます。豪華な舞台装置が組まれ、劇作品の本編へと向かう序曲やプロローグが観客の期待感を煽り、印象的な場面でバレエが巧みに挿入され、フランス語の美しさを活かしたアリアや合唱などが相まって劇的な効果を高めるなど、フランス独自の新しい音楽劇というにふさわしい様式が創り上げられていきます。

バレエ・ダクシオンの誕生

18世紀初頭のバレエはまだ独立した芸術ではなく、オペラにバレエを取り入れたオペラ=バレエが盛んに上演されていました。
オペラ=バレエの中のバレエは、複数の人々が様々な図形を床面に描いて踊るもので、踊り自体にストーリー性はなく、舞台作品に華やかさと楽しさを与える一要素でしかありませんでした。

そこへ、「装飾的」なバレエから、バレエの舞踊とマイムのみによる「劇的」、あるいは「表現的」なバレエの創作を目指す「バレエ・ダクシオン」と呼ばれる動きが出てきます。その実現に尽力した人物の一人が、ジョン・ウィーヴァーです。

ウィーヴァーの舞踊理論

イギリスのシュルーズベリーで生まれ、舞踊の研鑽を積んだ後、ロンドン各地の劇場でダンサー、振付師として活躍します。

ウィーヴァーが最初に創作した『酒場の詐欺師』たちという作品では、「舞台、ストーリーが舞踊と行動や身振り手振りのみによって展開されるイギリスで最初のエンターテイメント」と述べています。その後の『マルスとウェヌスの恋』では、それぞれの登場人物たちを軸に繰り広げられるストーリーと心境が言葉の助けを借りることなく舞踊とマイム、身振りと顔の表情だけで描かれています。

カユザックの考察

こういった動きは理論的な領域にも出てきていて、南フランスのモントーバンに生まれたルイ・ド・カユザックは劇作家でありながら『古代舞踊と現代舞踊、あるいは舞踊に関する歴史的考察』(1754)を発表します。
この著作の中でカユザックは、

(1) あらゆる芸術と同じく舞踊もまた、自然の模倣を目的とするものである。ゆえに舞踊は、どのようなものであれ、魂の動きを表現し描き出さなければならない。絵画も舞踊も「描く」という点に関しては共通しているが、絵画は一瞬のみを描き出すのに対して、舞踊は各瞬間を連続的に描き出すことができる。その意味で、絵画には「模倣」しかないが、舞踊には「現実」がある。
(2) 劇作品には「筋立て」が必要であり、舞踊に付いてもそれは同様である。オペラなどに挿入される舞踊の場合には、それが主たる劇の筋立てに結び付けられたものとなっていなければならない。およそいかなる劇作品(舞踊作品も含む)にも、その筋立てには導入、山場、大団円という3つの部分は必要である。「ダンス・アン・アクシオン」すなわち「一貫した筋立てを持つ舞踊作品」が選びうる主題は、オペラが使用しうる主題と同様である。ただし、舞踊作品において悲劇や喜劇を扱う場合には、その劇的展開が速やかでなければならない。なぜならば、多くのせりふを費やして表現されるようなことも、身振りならばただ一つで表現できるからである。つまり、劇的舞踊作品は優れた劇作を凝縮させたものでなければならない。

といった議論が展開されています。しかし、こういった主張は残念ながら多くの人の共感を得るまでには至りませんでした。

ノヴェールの手紙

カユザックの『古代舞踊と現代舞踊、あるいは舞踊に関する歴史的考察』が発表されてから約6年後。パリのジャン=ジョルジュ・ノヴェールが『舞踊とバレエについての手紙』(1760)という著作を発表します。
この『手紙』の中でのヴェールは、「アクシオン」という語を随所に用いて述べています。「アクシオン」とは、多義的な語なのですが、『手紙』の中では「筋立て」の意で随所に使われています。

ノヴェールはこの「アクシオン」を軸にしながら、劇としてのバレエ作品を提唱し、なおかつバレエを劇として成り立たせるためのダンサーの表現技術のあり方を提唱し、またその「劇としてのバレエ」がいかなるものであるべきかを論じています。

このノヴェールが提唱した『手紙』が、18世紀から19世紀にかけてのバレエがバレエ・ダクシオン=劇的バレエへと方向性を決定づけることになります。

ロマンティック・バレエの世界

19世紀に入ると、ヨーロッパは、フランス革命と産業革命という2つの革命によって大きく変動します。観客は王侯貴族から新興ブルジョワジー(絶対王政のもとで力を蓄えた新興の有産市民階級)へと替わり、それに応じて作品の内容も変わります。
文学をはじめ音楽や美術など芸術全般に渡ってロマン主義の傾向が強まり、バレエの世界では、非現実の世界を舞台に、妖精がバレエの主人公になるロマンティック・バレエの世界が到来します。
ロマンティック・バレエには、『ラ・シルフィード』や『ジゼル』のように、人間と妖精の結ばれない恋をテーマにしたものや、『海賊』や『パキータ』など異国を舞台に冒険が繰り広げられる作品が多く生まれています。

また、観客の変化によって超絶技巧を求める声が高まり、その声に応えるダンサーたちが登場します。18世紀末までは、脚を高く上げることは下品とされていましたが、テクニックを売り物にするダンサーたちはより高く脚を上げるようになり、跳躍の高さとピルエット(旋回)の回数を競うようになります。
そうした技術革新によって、当然、衣装にも大きな変化が起きます。18世紀以前のバレエダンサーたちは装飾のついた重たい衣装を身に着け、スカートの丈はくるぶしの上までありました。1820年代になると、急に衣装が簡略化されていき、チュチュもまた簡略の結果生まれたものです。
今日のバレエでは基本の一つになっているつま先立ち。このつま先立ち(ポワント技法)もまた、この時代に生まれます。このつま先立ちをどこで誰が最初にやったのかは、未だに不明となっていますが、ピルエットを用意にするためだったのではないかと言われています。

最初のロマンティック・バレエと言われるのは、1831年にパリ・オペラ座で上演された、マイヤーベーア作曲のオペラ『悪魔のロベール』の第3幕のバレエ場面です。振付はフィリッポ・タリオーニ。タリオーニは、娘マリーにポアント技法を叩き込み、娘のために作品を振り付けます。
1832年には『ラ・シルフィード』が上演され、空気の精を踊ったマリー・タリオーニは、優雅なポワント技法で成功を収め、名声を手にします。

バレリーナ

ロマンティック・バレエ以降のバレエが18世紀以前のバレエと異なるのは、バレリーナが舞台の中心を占めるようになったことです。

19世紀のバレエを代表するバレリーナは、先述のマリー・タリオーニです。彼女は父フィリッポや教師に師事し、アン・ドゥオール(開脚)とポワント技法を身に着け、デビュー後は10年間、パリ・オペラ座で今で言うプリマ・バレリーナとなります。それまでは曲芸的なものだったポワント技法を、新しいバレエ表現として確立させます。

1841年には、ロマンティック・バレエの最高傑作『ジゼル』が上演されます。主役を踊ったカルロッタ・リッジは、その名演により歴史に名を残します。その後も、ファニーチェッリートやルシル・グラーンなど歴史に名を残す大バレリーナを排出します。ロマンティック・バレエはまさにバレリーナの時代でした。

舞台の技術革新

18世紀以前から、演者が奈落からせり上がってきたり、ロープで吊られた台の上に乗って降りてきたりということは頻繁に行われていましたが、幕はなく、幕間も舞台はそのままだったので装置がガラリと変わって観客を驚かすような演出はありませんでした。
19世紀に入ると、幕が使われるようになり、幕ごとの舞台転換に工夫が凝らされるようになります。パリ・オペラ座ではオペラ『ギョーム・テル』(1829)に初めて幕が用いられました。

照明は18世紀以前はもっぱらろうそくとオイル・ランプでしたが、1817年にはロンドンで、22年にはオペラ座でガス灯が用いられるようになり、舞台と客席は格段に明るくなりました。ろうそくと違ってガス灯は調整ができるという大きなメリットがありましたが、裸火であるため火事の危険性がありました。実際、ガス灯の火が衣装に燃え移って亡くなったダンサーもいます。

電気照明が使われるようになったのはずっと後で、開場した際にロビー照明や装置の一部と火災報知器には電気が用いられましたが、舞台装置の転換は奈落にいる作業員の人力でした。当時は電気が危険だとされていたため、舞台照明もまだガス灯が用いられていました。
19世紀末から20世紀初頭に掛けて、ようやく電気照明が普及します。

社交の場だった客席

フランス革命の頃まで、貴族たちは2階のボックス席に陣取っていました。一方、庶民が利用する1階席は平土間になっていて座席はなく、立ち見でした。革命の頃になると、最初はベンチが置かれ、ついで客席が設置されるようになります。

19世紀の半ばまでは、劇場は芸術鑑賞の場ではなく社交場であったため、ボックス席に陣取った貴族たちの関心は「誰が客席に来ているか」ということでした。1875年に開場したパリ・オペラ座はその伝統を引きずっていて、客席は馬蹄形になっています。

19世紀以降のお話は、次回に続きます。
バレエってどんなもの?バレエを知るためのバレエの歴史(2)

参考文献

乗越たかお(2010) 『ダンス・バイブル コンテンポラリー・ダンス誕生の秘密を探る』 河出書房新社 ISBN-13 : 978-4309272290
渡辺真由美(2006) 『物語とみどころがわかるバレエの鑑賞入門』 世界文化社 ISBN-13 : 978-4418202102
鈴木晶 他(2012) 『バレエとダンスの歴史 欧米劇場舞踊史』 平凡社 ISBN-13 : 978-4582125238
山本康介(2020) 『英国バレエの世界』 世界文化社 ISBN-13 : 978-4418202027

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